中国 地図

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日本の中の中国文明

人類が日本で生活を始めたの、約4000年前といわれていますが、そのころ日本と中国は島続きでした。


その後、日本列島は大陸から離れますが、日本は海の西の中国を唐土(から)などと王朝名で読んできました。


文明面を見ると、中国四大文明とよばれるものは、紙、印刷術、火薬、羅針盤ということになりますが、これらは西洋に多大な影響を与えました。


しかしながら、日本を見てみると、中国四大文明よりは、漢字、儒教、律令、仏教(中国仏教)のほうが遥かに影響を受けてきましたし、これらは文明というよりは中国四代文化ともいえるものでしょう。


漢字を用いた文書行政は日本の律令国家を語る上で外すことのできないものですし、儒教や中国仏教は古代日本国家を支えるイデオロギーとなりました。


これら儒教や中国仏教が、漢字で書かれた漢籍、または教典(漢訳されたもの)として入ってきたということも忘れてはならない重要な点です。


たとえば、仏教の経典はもともとサンスクリット語で書かれていた物ですが、中国ではそれを漢訳しました。


ですから、日本に入ってきた教典ももちろん漢訳されたものです。


ですが、ご存知の通り日本では教典を日本語に翻訳するということをほとんどしませんでした。


教典をみたことのある方ならみなさんご存知のことでしょうが、教典は漢字の羅列です。


ではなぜ、日本では漢訳された教典を日本語訳しなかったのでしょう。


それは、僧侶は漢籍を読めたからなのです。


また、平安時代の貴族文化を見ても分かる通り、位の高かったり、教養のある貴族男性は漢籍を読むことが教養の一種とされていました。


そのような背景もあることから、実兄よりも漢籍に通じていた紫式部をみて、父親が「この子が男の子であったなら……」とつぶやいた理由も分かるというものです。